オタク
〜 その高貴なる生態 〜
2004-07-21 作成 福島
2004-09-21 更新 福島
2005-04-18 更新 福島
2005-06-09 更新 福島
2008-10-16 更新 福島
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オタクへの想い

私は、オタクになりたかった。

目の前にいるオタクたちは何か楽しげだ。
私を含む一般人には分からない専門用語を使いこなし、その言葉で談笑していたりする。

とても知的に、そして素敵に見えた。

そうだ、私もオタクになろう!

きっとなれるに違いない!
そう思った。



気さくなオタク

当時、私の家の近くには偶然知り合ったオタクが住んでいた。
名前を S.O. という。
彼は気難し屋だが、私に色々な言葉とその意味を教えてくれた。

「サバゲー」 「コミケット」 「コスプレ」 「同人誌」 「クソゲー」

どれをとっても私には未知の世界で、その言葉の向こうで笑い合っている彼らがとても魅力的に見えた。
端的に言うと、とても楽しそうなのだ。

コミケットに連れて行ってもらったし、「知り合いの漫画家」にも会わせてくれた。
オタクしか見ないような (その辺のレンタル屋には到底置いてない) LD (ビデオテープではない) を見せてもくれた。
彼はとても気さくだし、良い奴だ。

コミケットでは、男だけが渦巻くブースに並ばされた。(これを洗礼というらしい。確かに異臭が酷かった。)
映画「七人のオタク」は、3回も観た。
「オタクのアニメ」だって (理解できなかったけど) 2回観た。
セーラームーンのヒロインたちも覚えた。

しかし、何かが違う。私は彼らから取り残されたままだ。

「恋に恋してりゃ愛想も尽きてく」はサザンオールスターズの歌だっただろうか、
そう、私はオタクに憧れ、それを真似ているだけで、オタクにはなっていなかったのだ。

愕然とした。

私はこのままオタクになることは出来ないのだろうか。



オタクに成れない私

オタクになるためには、オタクを知らなければならない。
自分が成りたいものを知るのは、あたりまえのことだ。

これがそもそも間違っていた。

オタクとは、結果的にそうなるものであって、私のように「成ろうと思って成る」ものではなかった。
おとぎ話に出てくる勇者のように、選ばれし者だけがその栄えある称号を手にすることが出来るのだ。
それを前もって誰かが教えてくれたなら、こんなに無駄な時間を費やすことは無かったのに。

私は、もはやオタクには成れない。
改めてオタクを目指すには、月日が経ち過ぎた。

しかし、幸いなことに全てが無駄というわけではなかった。

そう、私が目指すは「オタクオタク」。
これは、強調して言葉を並べたわけではありません。

オタクをオタクする。
言うならば、「オタクウォッチャー」。
オタクについて、それを私なりに分析する道を切り拓こうと思います。

もともとの出発点が、「オタクに興味を持った」なのだから、今度こそ出来るはず。


コラムのコラム "にわかオタクになるコツ"(男の子向け)

オタクになりたいと思っても、なかなか成れない人が多いと思います。
それは私も同じです。
そんな人を救うため、オタクの振りをするテクニックを伝授します。
  1. オタクの集まる店へ行き、商品の前に立つ。

    簡単です。お宅の好きなもの、例えばアイドル、パソコン等、あなたがオタクっぽいと思うものがある場所へ行けば良いのです。
    ここで、注意があります。
    アイドルといっても、メジャーなやつはダメです。普通の女の子から「けっ!」とツバを吐かれるようなブリッコ(死語)の女子が最適です。
    パソコンショップも、家電屋へ行ってはいけません。オタクの出没ポイントは聖地秋葉原やソフマップが良いでしょう。
    最近ではビックカメラの自作コーナーもねらい目です。
    シャツの裾ををパンツ (ズボン) の中に入れて、リュックを背負っている人が多い店ほどオタク度が高いと言えますが、
    髪の色が黒じゃなかったり、キャップを被っている人は除外します。

  2. 商品の前で、型番と値段を呟く。

    これも簡単です。値段のプレートには必ず型番(機種名ですね)が併記されています。
    それを音読するだけです。

    こんな風に
    「GeForce 7900 GTX が 40,000円か〜」
    (じーいーふぉーす ななせんきゅうひゃく じーてぃーえっくすがよんまんえんかぁ)
    簡単ですね。

  3. 最後にため息をつく。

    さっきの言葉に、少し間をおいてからため息をつきます。

    こんな風に
    「GeForce 7900 GTX が 40,000円か〜」
    「ふぅ〜」
    (じーいーふぉーす ななせんきゅうひゃく じーてぃーえっくすがよんまんえんかぁ…ふぅ)
    このとき、値段のプレートから目を離してはいけません。
    周囲を気にして、恥ずかしがってもいけません。
    オタクは型番と値段にしか興味が無いからです。
    上級者向けのテクニックとしては、メガネを指で少しずらし上げながら、飾られている部品に目をやると効果的です。

    意味なんか分からなくて結構。オタクたちだって、言葉の本当の意味を分かっている人はごく少数だからです。

    このときの「ふぅ〜」には、
    • 安いけど今は手が出ない。
    • 今日買いに来たのは他の部品であって、目の前にあるコレではない。
    • 費用対効果を考えるなら、自分にはむしろ違うあれが相応しい。
    等の意味が込められています。
怒っているときでも、両方の頬の筋肉と眉を上げれば笑って見えます。
それと同じです。

あなたも今日からエセオタクライフを Let's enjoy together !


オタクとは

オタクとは何だろうか。
もう一度良く考えてみる。

私が高校生の時だっただろうか、初めて「お宅くん」という言葉を聞いたのは。

発祥は知らない。マンガの中でそう呼ばれていたとか、テレビが広めたとか、説はいろいろある。
ひとつ言えることは、もっと以前からオタクは居たと言うことだ。
鉄道雑誌や銃の雑誌、マンガアニメ同好会の歴史を見れば説明するまでも無い。

「お宅くん」とは、相手のことを「お宅」と呼ぶ輩を指してそう命名された。
通常、若い人が相手を呼ぶ時は、「きみ」「おまえ」といった単語を使うだろう。
「お宅」を若い人が使うのはどうにも奇妙だった。

一般的にも「お宅」という言葉は頻繁に使うが、これには
「あなたの家ではどうですか?」
という意味が込められている。

「あなたの家」とは、もちろん建造物のことではなく、法規や状態を指している。
つまり、家にはそれぞれしきたりがあって、
「私の家のしきたりでは…だけど、あなたの家のしきたりに当てはまりますか?」
という意味だ。

「お宅くん」がこれを使う時は、
「私のテリトリーでは…だけど、あなたのテリトリーに当てはまりますか?」
という意味になる。

ここでいうテリトリーとは、平面や立体に広がる空間のことではなくて、専攻分野のことを指す。
ノリとしては、「地質学的には…だけど、天文学的にはどうですか?」といった感じだ。

例えば、台所にある「塩」ひとつをとっても、いろいろな見方がある。
化学的な見解、味としての見解、歴史的な見解、結晶の美しさ、生成技術、ブランド、諸々。
突き詰めると、これらは全て学問である。

好きなものをコレクションしたり、考察し続けることにより、いつのまにかそれが自分の中で一種の学問のようなものとして確立されてしまう。
オタクは知性が高いのだ。

そして、お互いの「専攻分野」を認め合い、敬意の念を抱いた結果、相手のことを「お宅」と呼んでしまう。

ただし、ここには落とし穴があって、
・相手に専攻分野が (ないのに) あると勘違いした場合。
・相手を「お宅」と呼ぶことに慣れてしまって、一般人を「お宅」と呼んでしまう場合。
等は、冒頭で述べたように、ただの奇妙な奴と思われてしまうのだ。



専攻分野とオタク

専攻分野があればそれで良いのか?
どうも違う。

地質学を専攻している状態で相手を「お宅」と呼んでも、その人は「オタク」と呼ばれることは無い。
世間一般に知られる専攻分野は、オタクのテリトリーではないのだ。

何か変わったものや、一見して意味の無いものに興味を惹かれ、それに興奮する。それがオタクだ。

私はよく、オタクに同類と思われることがあるが、残念なことにそれは違う。
わけのわからないものに興奮する様子を理解しようとしているのであって、
同じように興奮しているのではないからだ。

同じように興奮できたなら、どんなにか素晴らしいだろう…。



なぜオタクか

「何か変わったものに興味を惹かれ、それに興奮する」
と言うと、一部のオタクは気を悪くするだろう。

オタクたちは、食指の対象に「変わったもの」「くだらないもの」だからと言う理由で興味を持つわけではない。
中には自虐的なオタクもいて、変だからという理由だけで興奮してしまうこともあるだろうが、大抵の場合、それは違う。

しかし、一般人から見たオタクの印象は、「何か変なやつ」「くだらないものに造詣(ぞうけい)が深いやつ」である。
これも間違っていない。

では、何が違うのか。

「お宅くん」と呼ぶのは、オタク自身ではなく、そう呼ぶ「一般人」であることと、なぜそう呼ぶのかを考えて欲しい。

オタクは、自分のことを趣味が昂じてそうなったことを評価し、呼ぶ側は表面的なものを指してそう呼んでいる。
つまり、呼ぶ側はオタクの内面を評価していない。

上にも述べたが、「オタク」という呼称は、呼ぶほうの都合なのだ。
社会的に属性を表す呼び名は多くの場合、呼ばれる側ではなく、呼ぶ側の都合で命名される。

「何か変なやつ」「くだらないものに造詣 (ぞうけい) が深いやつ」を指してオタクと呼んでいるだけなのだ。
オタクの崇高さ、高尚さが理解できず、表面だけを捉えるからその程度しか定義できない。

言うまでも無いが、第三者 (呼ぶ側) の都合に合わせて自分の趣味を選択するわけには行かない。
趣味なのだから、それを行う者にとっては何を選択しても良い。
資本主義の法治国家においては、実にあたりまえのことだ。

ところで、自然言語における情報の伝達速度は、
・法則が単純 (覚えやすい)
・奇異である (日常と違うので興味を持つ)
・当てはめやすい (題材がありふれているので、例えて使うことが容易)
であるほど速い。

「オタク」と言う単語は、その表面的な状態 (蔑んでいる) が先行して世間に広まった。
なぜそうなのかは理解されずに。

だから、オタク当人にとっては酷く迷惑な話だが、
「何か変なやつ」「くだらないものに造詣が深いやつ」
と言う評価は間違っていない。

それゆえ、オタクは常に少数派だ。
「何か変なやつ」と思われる輩は多数派には成り得ない。
多数派ならそれは「変」ではなく「常識」という言葉で片付いてしまう。

私も、オタクをオタクと呼ぶ。
ただし、そこに含まれている意味は、敬意であることのほうが多い。
少なくとも、S.O. 氏をそう呼ぶとき (本人は非常に嫌がるが) はその意味だ。



相手をオタクと呼ばないオタク

オタクが目の前にいる相手のことを「お宅」と呼んでいたのはとても短い間だ。

「オタク」という呼び名が世間に広まる頃には既にその呼び方を捨て、「きみ」「おまえ」を普通に使うようになってしまった。

蔑称として「オタク」が伝わってしまったので、呼ぶほうの都合で勝手にイメージを作られてしまい、表面的な目でしか見ることの出来ない人に対して、自分が如何にそのイメージではないかを諭すことに疲れてしまったのだ。

表面しか見ることの出来ない者に対して、その意味を伝えるのは並大抵の苦労ではない。
特に、それが教養に順ずるものだからなおさらだ。
教養を持たないものに教養を教えることは不可能に近い。

一人諭しても 5 分後には、話のネタにすると言う理由だけで、同じ様な人間がやってくる。
諭したところで今度は、「口うるさいやつ」「よく分からないことを言うやつ」と、違うレッテルを張られてしまう。
大抵の人間は、破壊活動 (他人をからかう、馬鹿にする) を行うことによってエクスタシーを感じる。
高尚なオタクは、そんなレベルの低いやつに付き合う義理は無い。

諭すよりも呼び名を改めるほうが簡単だったのだ。

信ずるものがあり、宗教のようにその教えを広めるのが目的・手段であれば、伝道師となることも出来るだろうが、オタク本人にとって自分が行っているのは「ただの趣味」なので、他人を諭すことに時間を使うくらいなら、趣味に没頭したほうがよっぽど意義がある。

私としては、オタクという言葉が広まる以前のように、彼らに「お宅」と呼び合って欲しいのだが、そうはなっていない。



常識

「変」を考える前に、「常識」について考えてみる。

常識とは、その人間の知りうる問題解決方法の集合であり、経験則である。

分りやすく言うと、集落のルールだ。

人間は (特にアジアの民族は) 周囲と自分を合わせようとする習性がある。
これは、人を思いやるためでもあるが、自分を目立たせないための工夫でもある。
また、自分を正当化するための口上でもある。

群れを成すには、他の個と同等になる必要がある。
自分が優位に立ちたいときは当然の様に他の個も優位に立ちたい。
劣位に立たされそうになった個も当然、優位または同位に立ちたい。
これを繰り返すと、結局頃合の良いところで押し延べたように地位が均一になってしまう。
突き詰めれば凄く凸凹するのだが、諦めの早い (悟りの早い?) アジア人は特に均一になりやすい。

常識に従ってさえいれば、
 ・他人に迷惑をかけない。
 ・他人より目立って攻撃を受けることが無い。
 ・新参者を凹ませることができる。
という利点がある。

要するに、他力本願の自衛手段だ。

だから何であれ、その道を極めた人ほど「常識」という言葉は使わない。
他人に頼る必要が無いのだ。

ただし、本当に常識を知らない人も「常識」という言葉を使わないので、注意が必要だ。



変なもの

変なものとはなんだろうか。

通常見かけないものや、相手にしないものを「変なもの」と呼ぶ。
読んで字のごとくだ。

つまり、見慣れないものや嫌悪を抱くものをそう呼ぶ。

見慣れないものも、嫌悪を抱くものも相対的なものであって、周囲の基準や生まれ育った環境によりその度合いは大きく左右される。

例えば、歌や漫画等の比較的新しい文化を取り上げてみる。

昭和の頃は、歌も漫画も「軟弱なもの」として捉えられており、大人が電車で漫画を読んだり、あるいはカラオケで流行の歌を唄うことでさえ嫌悪感を抱いていた人が多数あったが、
21世紀の今では、宴会や二次会でのカラオケは欠かすことの出来ない文化であり、宗教の布教活動やテレビドラマの原作に漫画が多用されたりと、初めはサブカルチャーであったものが(正当な)カルチャーとして認識されている。

これは、生まれ育った環境において、受け入れやすかったか否かに左右された結果である。

「変なもの」は時代によって認識が変化するので、オタクの食指対象だったものが、時を経るとそうではなくなってしまうことがあるのだ。

アニメ「機動戦士ガンダム」は、すでにオタクだけのものではなくなってしまった。
一般化されてしまったのである。

もはや、名台詞「親父にもぶたれた事ないのに!」程度では、ほくそ笑む事さえ出来ない。
というか、最近の世代では「ガンダム」といえばZZ(ダブルゼータ)が最古だったりする。